2017-ル・マン24時間レース観戦記(その3)

さて、ル・マン観戦記な訳です。

(その1)と(その2)で一通りの準備過程をお話ししましたが、そもそも論として「ル・マンに何を見に行くのか?」と言う話しです。

まぁ目的が24時間耐久レースなのは言わずもがな(記事タイトルだし)ですけど、その中でもズバリ。
私が長年大ファンしている「トヨタチームの総合優勝を見る事」が最大の目的です。

もちろんレースは「やってみなくちゃわからない」物ですし、トヨタチームは過去に何度か「優勝候補」と言われながら優勝を達成できなかった事がありました(2016年だけじゃないんですよ)。
そんな屈辱の歴史があるから「応援を続けている」し「いずれは報われて欲しいと考えています」し、そしてその「いずれ」が今年であってほしいと願っていました。

と言う訳で、ここでトヨタのル・マン・チャレンジの歴史を振り返ってみましょう、と言う話です。(旅行記とは直接関係ないですけど、ある意味予習ですね)

まず振り返るのは今から32年前となる、1985年。この年が事実上「初のトヨタのルマン参戦」となりました。車両はトムス85Cと言うグループCマシン。
トムス84Cの改良型で、外観上はほぼ同一の形をしています。

とは言えこの参戦はワークス活動ではなく、シャーシは童夢が設計し、トヨタはトムスと童夢にエンジン(4TGT改)を供給する形での参加です。
初めてのチャレンジは、童夢がリタイヤ、トムスが12位完走と言う結果。優勝は圧倒的性能を誇るポルシェ956でした。

実はこの年、たまたま休日の昼間に「トムスがトヨタのエンジンを乗せたグループCマシンでルマンに挑戦する」と言う2時間程のドキュメント番組が放送されてまして、それを見て以来、私は「トムス」と「トヨタ」の応援をするようになったんですね。
つまり、このトヨタ初のルマンアタッカーは、私のトヨタ好きの原点であり、そしてもちろんルマンへの憧れの原点でもあります。

次は86年。車は86C。少し丸みを帯びたライトとフロントフェンダー周辺が特徴的です。シャーシはやはり童夢。エンジン供給と言う形で参戦しました。
ルマンでは、残念ながら童夢もトムスもリタイヤとなってしまいます。ただ、童夢は一時総合7位辺りを走る健闘は見せていました。
とは言え優勝争いは、相変わらず圧倒的性能を誇る耐久の王者、ポルシェ962C(956の改良版)の独壇場と言えました。

87年は、トヨタがついにワークスとしてルマンに出て来ます。トムスをワークスチームとして「トヨタチームトムス」と言う名前でルマンに2台の87Cを持ち込みました。この年からエンジンは3SGT改になりました。
ですが、1台はスタートから2時間程度、もう1台もスタートから6時間程度でリタイヤとなってしまいます。もちろんスピードはポルシェには全く歯が立たず、この年もやはり優勝はポルシェ962Cでした。

88年。実はこの年はトヨタが設計から関わるワークス(とは言えモノコック製造自体は童夢ですが)ニューマシン、88C-Vが投入される予定でした。が、それが間に合わないと言う事で87Cを改良した88Cを投入。何とか完走するものの、全くスピードは足りず総合12位と24位。優勝には程遠いと言えました。
ちなみに「88C-V」は、ルマンに間に合わなかった結果、トヨタが作ったグループCカーとして唯一ルマンに出場していない車となりました。

89年。ここからトヨタのグループC活動が本気モードになります。88C-V以降、トヨタが設計にかかわる事になったマシン、89C-Vをルマンに投入する事になります。88C-Vからは、それまでの2.1リッター直4ターボだった3SGT改エンジンが、3.2リッターV8ツインターボのレース専用に作られたR32Vエンジンに変更され、アルミベースだった童夢のシャーシが、カーボンファイバーモノコックに変更され、それらが更に改良されて89C-Vとしてルマンに投入されたのです。

残念ながら決勝は全滅してしまうのですが、予選では、Tカーとは言え一時期トップタイムをマークする程のスピードを手に入れていました。この車から、ようやく「優勝」が可能性として見えてきた訳です。

90年。90C-V。89C-Vの改良版で挑んだルマンですが、89年が全滅と言う結果だったせいか、少し守りに入ったような走りになり、速度でトップに食い下がるような展開にはなりませんでした。
ただ、熟成が進み、安定したペースを刻めるようになったおかげで最終的には総合6位に入り、これはトヨタとしてルマンでの初入賞になりました。初トライから6年かけ、ようやくここまで来た、と言えます。

91年。この年、参戦を開始してから初の「不参加」となりました。ただ、これにはポジティブな理由があります。この後のグループCカーレースに革命的スピードをもたらす新たな規格として、3.5リットルNAエンジンを搭載したTS010を作成する為に、ルマンに手が回らなかったのです。
ちなみにこの年、ルマンでは、日本車として初めてマツダの787Bが総合優勝を遂げたのでした。トヨタファンとしては非常に悔しいけれど、日本人としてこの成績は誇らしく思いました。2016年のルマン終了時点で、このマツダの優勝は、日本車として唯一の総合優勝です。

92年。前年のルマンを不参加として製造していたTS010がついにルマンに投入されます。

これまでの「出力があっても重くて空気抵抗が少ないだけのターボグループCカー」から「F1と同等の規格で作られた3.5リットルNAエンジンを搭載した空力シャーシを纏った軽量グループCマシン」へと変貌を遂げました。
パワーだけならターボマシンのピーク時の7割程度の性能しかない為ストレートスピードは上がりませんが、その軽くてダウンフォースの強いマシンは、これまでのグループCマシンより、むしろフォーミュラカーに近い動きをしたのです。

ルマンにはトムスGB(トムスはイギリスを拠点にしたトムスGBを設立していました)から3台が投入され、雨の中、タイヤマッチングに苦労するものの、後半の怒涛の追い上げにより、ついにトヨタとしてルマン最上位フィニッシュとなる総合2位を獲得したのでした。
また、この2位には、日本人として初めて総合の表彰台に、関谷正徳さんが乗りました。
総合2位は立派な成績ではありましたが、結局前年にマツダが達成した総合優勝から見るとインパクトも欠け、世間的にもあまり盛り上がる話ではありませんでしたね。とは言え私は一人、嬉しくて仕方なかったんですけど。

93年。この年もTS010を3台投入し、前年に苦労したグッドイヤーのタイヤも、ミシュランに変更(ライバルであるプジョーと同じ道具にしたわけです)。下馬評では優勝候補筆頭と言われました。実際予選もプジョーと一騎打ち。僅かの差で2位となります。
決勝は一時期、トヨタがラップリーダーになり、優勝への期待もかなり高まったてのですが、結果的に信頼性が足りず様々な故障が発生し、結局1台が4位に完走しただけでした。ライバルと言われたプジョーが1-2-3位独占と言う、非常に悔しい結果と言えました。(プライベートチームに貸し出されていた93C-Vと言うターボカーが5位、6位に入っています)

94年。この年はトヨタはワークス参戦を取りやめています。
と言うのも、コストが物凄く高騰したグループCカーと言うカテゴリそのものが消滅の危機にあったからです。一方でGTカーと呼ばれる市販車を改造したクラスをルマンに広く受け入れる事になった為、グル―プCカーはラップタイムが93年より20秒以上遅くなるハンデを背負わされたのです。
結果、トヨタワークスでの参戦は無くなり、サードとトラストと言うチームが所有していた94C-Vと言うターボタイプのグループCカーがプライベートチームとして参戦する形を取りました。
数々のテクノロジーが詰まったTS010はプライベートチームへの貸し出しは行われなかった訳です。

この年のトヨタのライバルとなったのはポルシェでした。ポルシェは962Cと言う一時代を築き上げたグループCマシンを投入しました。
ただし、この962C。基本的な設計が古すぎる為、ターボカーとしては最新世代とも言えるトヨタのグループCマシンにはとても同じ土俵では歯が立ちません。
85年にトヨタが参戦した時には、ポルシェは遠く先を走る圧倒的性能の王者のマシンだったのですが、改良と熟成が進んだ最新鋭のトヨタ94C-Vは、その性能でポルシェ962Cを完全に凌駕する程になっていたのです。

そこでポルシェは一考しました。グループCマシンは前年に比べ様々な足枷により1周で20秒もラップペースが落ちました。
一方で、GTカーは市販車の改造車と言う前提がありますが、そのせいで様々なレギュレーションの優遇がありました。
もしも、962CをGTカーとして参加させる事が出来たなら、性能で先を行くトヨタを捉えられる。

いやいや待て待てま、962CはグループCカー。レース専用に作られた車両です。それを市販車改造部門にエントリーする事なんて出来る訳が無いでしょ?
そう思ったんです。私。
ですが、相手はポルシェ。962Cはダウアーポルシェ962と言う名前でナンバー付きで公道走行が可能な市販車が作られてしまったのです。(当時実際売ってました)
これにより、962CをGTカーとして公認させたポルシェは、プライベートチームで参加したトヨタと互角の戦いをする事になります。

それでも決勝レースでは、元々自力の勝るグループCマシンを駆るサード、トラストのトヨタは速かった。
一時期は1位2位を独占する走りを見せ、これは今年はトヨタが初めての優勝か?と思われました。
トラストチームの車はミッショントラブルで後退するも、レース終了1時間前までの段階で、トップはサードトヨタ94C-Vでした。

いよいよ優勝が見えてきた、残り40分ぐらい。シフトリンケージのトラブル、と言う極めてマイナートラブルにより、車両が止まってしまったのです。
残り40分です40分。直ぐになんとか応急処置をして走りだしたトヨタですが、2位に入るのがやっと(それでも走り出した時には3位に後退していて、1台抜いたんです)。
トヨタとしては2度目の2位表彰台でしたが、ハッキリ言って悔し過ぎる2位でした。
あと40分で優勝だったのですから。

そしてこの翌年より、ルマンはGTカーカテゴリが主体となり、市販スポーツカーを使って戦う場となったのでした。

95年。トヨタスープラGT。ワークスとしてはルマン参戦は無かったのですが、プライベートチーム(サード)がスープラGTをルマンに持ち込みました。
残念ながらそれまでの優勝を狙える性能からは程遠いとはいえる14位完走を果たしました。
いくら市販スポーツカーとして量産車でのスープラの素性が悪くなかったとしても、所詮は500万円程度で購入出来る量産車です。
邦貨で1億円ともいわれるフルカーボンモノコック構造を持ったマクラーレンF1-GTR相手では、スープラをどれ程レーシングカーに改良しても勝負になる訳がありませんでした。(ちなみにこの年、マクラーレンF1-GTRを駆った関谷正徳さんが、日本人として初めてのルマン総合優勝を果たしています。元々関谷さんはトヨタのワークスドライバーですから、これを是非ともトヨタの車で達成して欲しかった)

96年もトヨタはサードチームからトヨタスープラGTでエントリ。ですが、優勝争いをするポルシェ911GT1やマクラーレンF1-GTRの性能の前では、いかんともしがたい性能差であり、決勝もいい所がまるでないまま、優勝争いをしていたポルシェ911GT1と接触してリタイヤと言う結果になってしまいます。

97年は、トヨタがルマンに参戦しなかった年。そしてこの参戦しなかった理由も、結果的に91年の時と同様でした。実は私は全く気付いていませんでしたが、トヨタは作っていたんです。GTカテゴリで総合優勝を狙う為の車。TS020を。

98年。トヨタがルマンに帰ってきました。TS020と言う赤い怪鳥を引っさげて。
そのあまりにもプロトタイプカー然としたビジュアルに、この車のどこがGTカーなのだ、と評論家等から散々非難されたのですが、この手法はポルシェがかつて、ダウアーポルシェに使った手法です。
もちろん完全な合法であり(と言うか合法でなければ参戦なんて許されませんし、そもそも非難するのであれば最初に「ダウアーポルシェ」と言う前例を作ったポルシェにこそ非難の対象が集まるべきなんですが、まー評論家なんて舶来物のポルシェ大好き国産大衆トヨタはクソミソな連中ばっかりなので仕方ないですね)、言いがかりもいい所と言える非難でしたね。
ダウアーポルシェの手法とは、つまり、レーシングカーを作ってGTカーとしてホモロゲーションを取る為に数台だけ市販する手法です。
中身は完全にレース専用に設計されたプロトタイプレーシングマシンでした。
実際、その性能は凄まじく、ルマンでは文字通り「圧倒的な速さ」を見せつけます。

TS020は元々急ピッチで作られたせいかテストが完全には足りていないらしく、耐久性について言えば決して褒められる物ではありませんでした。
実際決勝レース中に何度も緊急ピットインを繰り返すのですが、ピットアウトするとその圧倒的性能であっという間にトップに立つ、そんなレース展開が延々と続きました(まさしくウサギとカメです)。
壊れてはピットに入り、その間にトップを奪われるも、走り出せばあっと言う間にトップを奪う展開が続き、残り1時間30分でもトヨタはトップを力走していました。
これは行けるかもしれない。流石に今度こそトヨタが勝つんじゃないか?と思ったその時、ついに修復できない程のミッショントラブルに見舞われ、リタイヤとなってしまったのでした。

成績的にはリタイヤ(厳密に言えば序盤にトラブルを抱えて修復しながら走っていた車が9位完走してます)でしたが、この赤い怪鳥TS020は、私が今までトヨタを応援してきた中で最も優勝に近いと感じた車両でした。(この感覚は2017年6月現在でも変わっていません)
そのぐらい他を圧倒する速度を持っていた訳です。確かに94年の94C-Vは速かったけれどカテゴリが異なる車との一騎打ちであり、そう言う意味ではある部分速くても当然と思えたわけです。
それが今回はポルシェもメルセデスもマクラーレンも参加する同じGTカテゴリー。その中で誰も寄せ付けない、まさに「圧倒的スピード」を見せつけたその走りは、見ていて胸のすく気持ちの良さがありました(クソミソに言ってた評論家連中にザマアみろって思いましたから)。

翌99年。この年のTS020はトヨタは93年以来の「総合優勝」が期待された年でした。

この年もその性能は盤石だと思われましたし、1年が経過し、TS020はマイナートラブルもおおよそ出尽くして安定している。私自身、今度こそ優勝するだろう、と思いながらレースを見守りました。
所が、中々上手く行かない。唯一のライバルだったメルセデスが投入したCLRは、スピード的にトヨタにかなり食い下がれる性能でした。思ったよりメルセデスは速いな、と。もちろんそれでも若干トヨタの性能が上回る。トヨタが順当にいけば勝てると思ったんです。
ただ、CLRについては速さと引き換えにリスクを冒していたようで、レース中に空中に飛びあがる事後を起こしそのまま全車リタイヤを決めます。

これでトヨタは盤石かと思われたのですが、伏兵がいました。
カテゴリの異なるBMWのプロトタイプカーです。大雑把に言えば燃料タンクの大きさから来るルーティーンのピットストップまでの周回数の差から、意外とこの車が速い事が分かったんです。タイムだけならTS020でしたが、周回を重ねるとピット回数が少ないBMWがいつのまにか上位にいる。
これは脅威でした。
また、レースではTS020もトラブルや巻き込まれクラッシュにより、日本人トリオが乗る1台のみが優勝争いをする展開。トヨタのスピードはBMWに勝り、計算上、2位を走るトヨタが、最後の30分ぐらいの間にトップに立てるはずだったのですが、追い上げペースの速さによりタイヤがダメージを受け、バースト。
残り30分程度を残し追いかける事が出来なくなり、2位表彰台となります。
これでトヨタは3度目の2位。成績だけ見れば立派ですけど、優勝を期待する私は、この結果には大きく落胆していました。
優勝まで、94C-Vが残り40分。前年のTS020が残り1時間半、そしてこの年は残りわずか30分です。悔しくて仕方ありませんでしたよ。ええ。

2000年以降、トヨタはルマンから一旦撤退をします。これは翌年を見据えての参加取りやめでは無く、撤退です。
もちろん理由はF1に参戦する為でした。TS020を制作運用していたTMGがそのままF1のチームとして活動する為、ルマンに参加する余裕がなくなったのです。

それから12年の歳月が流れます。2012年。F1プロジェクトを終えたトヨタは、再びルマンに帰ってきました。
車はTS030 HYBRID。車の名前がTS030と言う事で、TS020の後継車のようなネーミングにもわくわくしました。

そしてHYBRIDの名前。この車はトヨタのプロトタイプレーシングカー史上初のハイブリッドレーシングカーでした。
ハイブリットレーシングカーは十勝のレースなどで実際に走らせていたので、初めてとは言えませんが、プロトタイプカーとしては初であり、この車が2017年現在まで続くトヨタ・ハイブリッド・プロトタイプ・スポーツカーの初代と言えます。
ルマンでは、TS020のような他を圧倒する速さは無かった物の、それでもトップを走るアウディ―に食い下がり、一時期はトップを走る健闘を見せます。
ですが、2台のTS030は、クラッシュ等によりリタイヤしてしまいます。

2013年。この年もTS030 HYBRIDでの参戦。熟成が進み、トラブルが減ったマシンは順調に周回を重ねるも、ライバルのアウディ―が1歩先を行き、結果2位表彰台となります。
4回目の2位。中々優勝させて貰えません。

2014年。この年からルマンプロトタイプのトップカテゴリにポルシェが復帰しました。これにより優勝を争うチームは、トヨタ・アウディ―・ポルシェの3チームとなり、より激しい戦いとなりました。
この年にトヨタが用意した車はTS040 HYBRID。

前年まで使用したTS030の改良版とは言え、その性能は非常に高く、中嶋一貴がコースレコードをマークしてのポールポジションを獲得します(中嶋一貴は2017年1月1日時点で唯一の日本人ポールポジション獲得ドライバー)。

決勝もトヨタは速く(TS020程の圧倒劇は無かったとはいえ、安定して速かった)、夜を迎えるまでに中嶋がトップを独走する状態になりました。ですが夜が明けかける午前5時前に、電気系トラブルでストップしリタイヤとなります。早い段階でスピンし後退していたもう一台が3位表彰台を獲得したのですが、正直、私が見たかったのはその位置でのゴールでは無いんですよね。

ただ、この年のトヨタは平均的に速かったおかげで、トヨタとてし始めて世界耐久選手権のチャンピオン(マニュファクチャラーもドライバーも)を獲得してみせたのでした。
ルマンでは勝てなかったけれど、世界一の耐久マシンとしての栄冠は手にした、と言う感じですね。

2015年。前年のトヨタの好調を考えると、この年も期待したいところだったのですが、この年はそうではありませんでした。
ざっくり言って、ライバルの性能アップが凄すぎて、トヨタが全く速度的について行けなくなっていました。
恐らくトヨタが2014年に相当に性能を伸ばしたことに危機感を抱いたアウディ―やポルシェが本気になって来た。その結果、マージンがあるだろうと考えていたトヨタのマージンは全て食われ、むしろ足りなくなっていた。
実際、この年のルマンは、トヨタは大きなトラブルなく走りきっているのに、6位と8位であり、前を走るアウディ―とポルシェには全く太刀打ちできませんでしたからね。もちろん世界選手権でも全くいいところなくシーズンを終わっています。

そして2016年。昨年です。
「トヨタよ、敗者のままでいいのか」
このキャッチフレーズを掲げ、本気で勝ちに行くと宣言して見せたトヨタ。
ですが、正直に言うと私はルマン決勝当日まで、トヨタに大きな期待をしていませんでした。

「今までの落胆がそうさせた」のではありません。

この2016年用に作られたTS050 HYBRIDの、テスト、開幕戦、第2戦での成績、そして「ルマンテストの成績」と「予選タイム」からそう思ったのです。

「トヨタよ、敗者のままでいいのか」とまで言った割に「全然速くなかった」。

トヨタは常に「この車はルマン優勝だけを考えて作っている」と言っていましたので、第2戦が終わっても、まだ若干の期待はありました。
でも、ルマンでのテストと予選の結果では、ライバルのポルシェに速度で負けていたんです(アウディ―は更に遅かったけど)。
実際、ルマンのフロントロウはポルシェに取られ、トヨタは2列目からのスタート。うーむ。大見栄切った割に遅い。。。

ここ最近のルマンは、24時間のスプリントレースと言われる程、最初から最後まで全力疾走しないと勝てない。
にもかかわらず速さでポルシェに遅れを取ってると言うのは、勝つのは相当にキツイぞ。そう思っていました。

それでも僅かに期待していたのは、インタビューで関係者が「決勝は見ててください」と言っていたから。

実際レースが始まると、目を疑いました。
トヨタはポルシェとラップペースが変わらないんです。思ったよりずっと速い。しかも、ポルシェより1周、ピットのタイミングが遅い。つまり燃費がいい。これはTS020の時はBMWにやられた事の逆です。トヨタが周回を重ねるごとにどんどん優位になる訳です。

2時間ぐらいが経過した時点で、この差は明確になり、トヨタは追いすがるポルシェを相手に、優位な位置でレースを展開していきました。
事故などでペースカーが入るタイミング等やピットのタイミングが重なって、ポルシェが差を詰めたり逆転をされる場面はあったのですが、それでもトヨタの自力が勝り、残り1時間を切った段階で首位を走っていました。
残り10分。2位を走るポルシェはトヨタを追いかける事を諦め、安全策でタイヤを交換し2位をキープする作戦に切り替えます。
この時点でトヨタとポルシェは1分以上の差がついています。残り10分。ポルシェがこの1分差を速さで覆す事は現実的に不可能です。

この時点で私を含む、世界中でこのレースを見ていた大半の人が「いよいよトヨタの初優勝を見られる」と思ったに違いありません。
私も、この時の為に買っておいたちょっといい瓶入りのプレミアムビールを冷蔵庫から引っ張り出し、後はプルタブを引いて飲むだけ、と言う状態にしていました。

余程のアンチトヨタでもない限り、この状態でトヨタが負ける事を想像した人はいない気がします。
今まで散々2位を見てきたし、残り1時間半までトップを快走していたレースも、残り40分までトップを走っていてトラブルにより後退したレース、30分前までラップペースから言って確実に大逆転が可能なレース、も見てきた私にとっても、今回こそは流石に勝っただろ、と思いましたから。

所が、残り5分。トップでTS050を駆る中嶋一貴のあまりにも有名な無線。

「Check the data. I’m not accelerating. I have NO POWER! I have NO POWER!」

そして中継に出ている車の速度が200km/h以上に上がらないままの走行。

「ウソだろおい。。。」

愕然としました。そのあまりにも衝撃的な展開に放心状態と言えました。
結果的にトヨタは2位。ですが、それはトップを快走していた中嶋の車では無く、小林が駆って3位を走行していた車が、中嶋のリタイヤで繰り上がったからでした。
トラブルはターボとインタークーラーを繋ぐパイプに問題が出た、と言う想像もしないような物。
このタイミングでそこが壊れる?本気でそう思いましたが、壊れたんです。本当に。

結局、買ったビールは1ヶ月以上開ける勇気が持てませんでした(多分3ヶ月後ぐらいに開けましたが全く美味くなかった)。

そしてこの事が、今回のルマン観戦に繋がっています。
実際、この2016年のトヨタの負け(5回目となる2位表彰台獲得、ではなく、私は「敗退」「負け」だと思っています。実際豊田社長も「負け嫌いのトヨタ」と言っていますからね)は私にはツラすぎて、しばらくこのシーンが頭にこびりついていました。
31年越しの夢は、また翌年以降に持ち越された、と。

ですがいいんです。この悔しさが今年に繋がった。
と言う訳で、いよいよ長い前置きが終わり、ルマンツアー開始となります。是非とも「負け嫌い」のトヨタを見せてもらいましょう。(結果はもう出てるけど、この記事は出発前に書いてるので、この時点ではまだ私も結果を知りません)

と言う訳で次回よりいよいよルマンツアー本編スタートとなります。

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